カイロプラクティックとは?

カイロプラクティックの定義

カイロプラクティックとは、筋骨格系の機能・構造的な障害と、それが及ぼす神経系の機能異常、ひいては健康全般への影響を診断、治療、予防する療法であり脊柱マニピュレーション(アジャストメント)を主にした徒手治療を特徴としています。

豊洲カイロプラクティック象徴

起源

カイロプラクティックは1895年米国で誕生し、1974年迄に全米で公認された合理的で基礎医学に基づいた科学的な手技療法です。1895年、カナダ人のダニエル・デビット・パーマー(1845~1913)が耳の聞こえない黒人の男性の背骨を矯正した事で耳が聞こえるようになったのがはじまりと言われています。

豊洲カイロDDパーマー

カイロプラクティックの語源

ギリシャ語で「手」という意味の「カイロ」と「技」という意味の「プラクティコス」という言葉をあわせて「カイロプラクティック」としたものです。つまり手技という意味です。

カイロプラクティックの詳しい歴史

カイロプラクティックの起源は紀元前まで遡ります。カイロプラクティックと名前が付く以前から多くの医師が脊柱マニピュレーションを行っていたと言われ、古代ギリシャの医学の父ヒポクラテスも脊柱マニピュレーションについての書物を残しています。そして、1895年にダニエル・デビット・パーマー (Daniel David Palmer)によってカイロプラクティックはアメリカで体系化され誕生しました。

豊洲カイロ起源

ダニエル・デビット・パーマー (Daniel David Palmer)

パーマーはカナダで生まれ、その後アメリカに移住しました。彼はアメリカの様々な土地を渡り歩き、アイオア州ダベンポートに移り住んだ時には雑貨店を営んでいました。そして1886年頃から磁気療法を学びだし治療を始めるようになりました。
治療院の入っているビルではハーヴェイ・リラード(Harvey Lillard)というほとんど耳の聞こえない黒人の守衛が働いていました。彼の聴力が失われたのは17年前のことです。窮屈な姿勢で体を曲げて作業をしていた時にボキッという音がし、それから彼の聴力は失われたと言われています。
1895年のある日、パーマーは治療中にリラードが窮屈な体勢で作業をしているのを見てそれに疑問を感じ、話を聞きました。リラードは聴力を失った経緯をパーマーに話したところ、パーマーはその時の状況に興味を持ちリラードの身体を調べることにしました。その結果、リラードの背骨の一つが突出しているのを見つけました。パーマーはリラードの耳が聞こえないのは突出している背骨が原因だと思ったのです。
そして、パーマーはリラードの承諾を得て彼を診察台にうつ伏せで寝かせ、その背骨を元の位置に戻そうと両手で押しました。その瞬間、ボキッという音とともに背骨が元の位置に戻り、聞こえなかったリラードの耳が聞こえるようになったのです。この出来事がカイロプラクティックが誕生した瞬間であり、最初のアジャストメント(矯正)でした。その後、心臓病を患っている人にも同じような行為を施したところやはり症状が改善しました。パーマーはこれらの体験から病気と背骨には何らかの関係性があると考えるようになったのです。

豊洲カイロDDパーマー
Daniel David Palmer 1845-1913
 

カイロプラクティックの発展

そののちパーマーは最初のカイロプラクティックスクールをダベンポートに開設しました。当時の教育は数か月間で簡単なテクニックと解剖学や生理学などを中心に教える程度のものでありました。
その後、学校は息子であるバートレット・ジョシュア・パーマー(Bartlett Joshua Palmer)に引き継がれました。B.J.パーマーはより質の高い教育を目指し学校を法人化し、レントゲンを導入してより科学的なものにしました。またB.J.パーマーはカイロプラクティックを全国に広めるためにラジオ局を作り、それを使って大々的に宣伝しました。
B.J.パーマーの教義は「カイロプラクティックの原理はあらゆる病気の原因を椎骨の関節間の変位に求めることであり、椎骨を矯正してあらゆる病気を治す」というものでした。しかし、この教義を不服とするカイロプラクターも多く現れ、彼らは脊柱の矯正以外にも栄養学的療法や物理療法などを取り入れ実行に移して行きました。このことをきっかけにカイロプラクティックはパーマー中心の純正派(ストレート)と不服とした人たちの混合派(ミキサー)に二分することとなり、両派はそれぞれ別々の学校や協会を設立していったのです。そして今尚この考えは引き継がれ、純正派と混合派に分かれています。
1961年にB.J.パーマーが亡くなると息子のデービット・ダニエル・パーマー(David Daniel Palmer)がパーマースクールを引き継ぎ、専門学校から大学教育に切り替え、名称を「パーマー・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(Palmer Collage of Chiropractic) に改名し、校舎や図書館を拡張しました。また宣伝方法もラジオからテレビに切り替えより世界にカイロプラクティックを広めていきました。

Bartlett  Joshua  Palmer 1882-1961

現在のカイロプラクティック

カイロプラクティックは全世界へ普及し世界34カ国の国と地域で法制化され医療分野でのヘルスケアとして認められています。WHO(世界保健機関)でも代替医療として正式に認められています。カイロプラクティックには厳格な教育基準があるのですが、日本にはそれを満たしている教育機関がわずかな数しかないため、残念ながら日本では統一した資格がありません。今後、日本国内における法整備および統一した資格が必要になるでしょう。現在、安全な施術を提供できるように法整備の準備が少しずつ進められています。